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2012年04月13日 19:29
ここしばらくブログサボってたね。スンマセン。
漫画家として書くこともないのかというのは情けない、お許しを。
こないだ観に行った多摩川クラシコ、川崎対東京の感動的な劇勝の事も書きたかったんだけどちょっとネタが古くなちゃったり。忙しかったの。
さて、今回はバッテリー。
バイク用のものです。
先日東京モーターサイクルショーに行って参りまして、その時おっ、と思った物。
バッテリーです。
ついにクルマ業界にも出てきました、リチウムイオン電池!
展示されていたのは2社だけで、そのうち現在手に入る物は今回リポートする「SHORAI社」のものだけ。
マークも名前もあれなのにアメリカの会社だそうで。最近はヘルメットもメリケンだよ。
ブースで触った時の感想は一言「軽!!」
見た目がいわゆるカーバッテリーなのにふわりと持ち上がるこの違和感はかなりショッキングでした。
ぼちぼち愛機のバッテリーがやばくなってる身としては惹かれないわけはなく今回のバッテリ交換に至るのです。

そばのカップ麺は大きさの比較用だよ。
04年型D-TrackerのバッテリーはTX7L-BSという規格のものでSHORAIバッテリーで互換性のある物は二種類。
互換表にある物は LFX09L2-BS12という物なのだけれど実際にはアンペアの容量の大きい物の方が良いと言う。
無論これでも問題はないらしいのだが通年問題なく安心が大きいのはお値段の張る方、と言うことだ。
LFX14L2-BS12という物を購入。
値段は前者が11800円、後者が17800円、店頭価格である。
ちなみにタイ古川の同型バッテリーがやはり店頭価格で16800円だったことを考えるとこれは相当安いと言える。
箱開けてみます。

おや。

ウレタンぽい緩衝材の下に本体があります。
出してみましょう。

こいつです。やっぱ軽いです。
早速計量。

なんと665グラム!
ボクシングだと階級何になるの!?
これから交換する古川バッテリーは2450グラムでした。
約1.8キロもの軽量化!!うわお!
その比較です。

大きさが違う〜〜〜〜。
唯一このバッテリーの欠点、「互換性があってもサイズが合わない」なのです。
逆に言えば「このバッテリーにそんなサイズは要らない」なのですが。
なので同梱されていたウレタン(多分ウレタンだと思う)で形を合わせる。
なに、簡単な工作です。
外してきたバッテリーと並べてどう組み合わせれば大きさが合うか試してからカッティング。
片面がシールになっているので貼り付けていきます。
割と強力な接着力なので落ち着いてやりましょう。
カッターやはさみで簡単に切れるので加工に苦労はありませんでした。
下面と背面に貼り付けて完成。

見てくれに関しての文句は受け付けません。
これでサイズを合わせました。
外したバイクにセットオン!

ぴったし!マイナスから外してプラスから付けるんだぜ!
早速エンジンを掛けると気持ちよくセルが回ります。
実に簡単でした。
今までの鉛バッテリーとは使い勝手の違うところもあってそこは気をつけなければならないのですがこの値段と軽さは強力な魅力。
冬は始動前にライトやウィンカーを使ってバッテリーを活性化させるなんて今までと違うでしょ。
それからナビとかを付けるのは良くないらしいです。そこは残念ですが僕は付けてないのでノープロブレム。
新し物好きの僕がこういうニューテクノロジーの人身御供となるのは本望です。
使い続けて何かあったらまたリポートしますです。
ちょっと気になったことが一つ。
買った販売店の店員さんに「古いバッテリーは回収してもらえるんですよね?」との問いに
「はい、このレシートを持ってきて頂けたら」
あれ?こういうショップはバッテリ無条件で引き取ってもらえる物だと思ってた。
ネットでググってもそんな感じだったんだが。バッテリーを通販で買うと処分はどうするんだろうね?
おまけ。素晴らしかった多摩川クラシコ前の等々力スタジアム。
いいスタジアムだよ。
ぼろいくせに俺たち東京サポのパワーで倒壊しなかったんだもんな、ガハハハ。

漫画家として書くこともないのかというのは情けない、お許しを。
こないだ観に行った多摩川クラシコ、川崎対東京の感動的な劇勝の事も書きたかったんだけどちょっとネタが古くなちゃったり。忙しかったの。
さて、今回はバッテリー。
バイク用のものです。
先日東京モーターサイクルショーに行って参りまして、その時おっ、と思った物。
バッテリーです。
ついにクルマ業界にも出てきました、リチウムイオン電池!
展示されていたのは2社だけで、そのうち現在手に入る物は今回リポートする「SHORAI社」のものだけ。
マークも名前もあれなのにアメリカの会社だそうで。最近はヘルメットもメリケンだよ。
ブースで触った時の感想は一言「軽!!」
見た目がいわゆるカーバッテリーなのにふわりと持ち上がるこの違和感はかなりショッキングでした。
ぼちぼち愛機のバッテリーがやばくなってる身としては惹かれないわけはなく今回のバッテリ交換に至るのです。

そばのカップ麺は大きさの比較用だよ。
04年型D-TrackerのバッテリーはTX7L-BSという規格のものでSHORAIバッテリーで互換性のある物は二種類。
互換表にある物は LFX09L2-BS12という物なのだけれど実際にはアンペアの容量の大きい物の方が良いと言う。
無論これでも問題はないらしいのだが通年問題なく安心が大きいのはお値段の張る方、と言うことだ。
LFX14L2-BS12という物を購入。
値段は前者が11800円、後者が17800円、店頭価格である。
ちなみにタイ古川の同型バッテリーがやはり店頭価格で16800円だったことを考えるとこれは相当安いと言える。
箱開けてみます。

おや。

ウレタンぽい緩衝材の下に本体があります。
出してみましょう。

こいつです。やっぱ軽いです。
早速計量。

なんと665グラム!
ボクシングだと階級何になるの!?
これから交換する古川バッテリーは2450グラムでした。
約1.8キロもの軽量化!!うわお!
その比較です。

大きさが違う〜〜〜〜。
唯一このバッテリーの欠点、「互換性があってもサイズが合わない」なのです。
逆に言えば「このバッテリーにそんなサイズは要らない」なのですが。
なので同梱されていたウレタン(多分ウレタンだと思う)で形を合わせる。
なに、簡単な工作です。
外してきたバッテリーと並べてどう組み合わせれば大きさが合うか試してからカッティング。
片面がシールになっているので貼り付けていきます。
割と強力な接着力なので落ち着いてやりましょう。
カッターやはさみで簡単に切れるので加工に苦労はありませんでした。
下面と背面に貼り付けて完成。

見てくれに関しての文句は受け付けません。
これでサイズを合わせました。
外したバイクにセットオン!

ぴったし!マイナスから外してプラスから付けるんだぜ!
早速エンジンを掛けると気持ちよくセルが回ります。
実に簡単でした。
今までの鉛バッテリーとは使い勝手の違うところもあってそこは気をつけなければならないのですがこの値段と軽さは強力な魅力。
冬は始動前にライトやウィンカーを使ってバッテリーを活性化させるなんて今までと違うでしょ。
それからナビとかを付けるのは良くないらしいです。そこは残念ですが僕は付けてないのでノープロブレム。
新し物好きの僕がこういうニューテクノロジーの人身御供となるのは本望です。
使い続けて何かあったらまたリポートしますです。
ちょっと気になったことが一つ。
買った販売店の店員さんに「古いバッテリーは回収してもらえるんですよね?」との問いに
「はい、このレシートを持ってきて頂けたら」
あれ?こういうショップはバッテリ無条件で引き取ってもらえる物だと思ってた。
ネットでググってもそんな感じだったんだが。バッテリーを通販で買うと処分はどうするんだろうね?
おまけ。素晴らしかった多摩川クラシコ前の等々力スタジアム。
いいスタジアムだよ。
ぼろいくせに俺たち東京サポのパワーで倒壊しなかったんだもんな、ガハハハ。

2012年03月04日 11:56
ゼロックスカップ観てきたんですよ。
はっきり言います、ポポ監督は敗戦の弁を述べてますが(ああ、なんて潔い!)
ウチの勝ちです。
あり得ないPK取られた上にPKのはずがただのゴールキックに化けたら、そりゃあもうね、勝てる試合も勝てやしませんよ。
最初のカウンターゴールは仕方ないから一点は認めるさ。
でもその後のPKはないだろう、レフェリー!

この位置で見てたんだ。写真では遠く感じるけど実際はもっと近く感じるよ。
お前は何スセクターの回し者だよ!?J1は管理されてんのかよ!?(イナイレGOはもう笑って観るしかないよね。突っ込んだら大人げないと言うかなんと言うか)
谷澤が倒された時もなんでゴールキックやねん!?なるほどそりゃあ柏の選手はペナルティキックエリア内では生き生きとするってもんだ。
orz
これが柏J1優勝の秘密なら合点がいくぜ。そんなのないと信じたいですけど。
これがETUのモデルとなったチームかよ…。とほほ
言っとくけど大阪じゃカシワは鶏肉の事だかんね!あはははは。
orz
だが今年はなかなか良い感じで東京もいけそうではある。
それに期待の今シーズン、来週開幕です。
はっきり言います、ポポ監督は敗戦の弁を述べてますが(ああ、なんて潔い!)
ウチの勝ちです。
あり得ないPK取られた上にPKのはずがただのゴールキックに化けたら、そりゃあもうね、勝てる試合も勝てやしませんよ。
最初のカウンターゴールは仕方ないから一点は認めるさ。
でもその後のPKはないだろう、レフェリー!

この位置で見てたんだ。写真では遠く感じるけど実際はもっと近く感じるよ。
お前は何スセクターの回し者だよ!?J1は管理されてんのかよ!?(イナイレGOはもう笑って観るしかないよね。突っ込んだら大人げないと言うかなんと言うか)
谷澤が倒された時もなんでゴールキックやねん!?なるほどそりゃあ柏の選手はペナルティキックエリア内では生き生きとするってもんだ。
orz
これが柏J1優勝の秘密なら合点がいくぜ。そんなのないと信じたいですけど。
これがETUのモデルとなったチームかよ…。とほほ
言っとくけど大阪じゃカシワは鶏肉の事だかんね!あはははは。
orz
だが今年はなかなか良い感じで東京もいけそうではある。
それに期待の今シーズン、来週開幕です。
2012年02月15日 00:36
ジョージ・A・ロメロという監督が発明した「ゾンビ」はホラー映画に革命をもたらした。
金を掛けてデザインせずにモンスターを大量生産できるからだ(これで特許取ってたら!)。
おかげでゾンビ映画って言うのは夏場の蚊柱のごとく大量登場した。
だが、本家ロメロとそれ以外には決定的な違いがある。
他の(中には優秀なものもあるが)バッタモンと元祖ゾンビ映画が違うのはその内包されるテーマ性である。
民主主義、物資文明、戦争、そういったメタファーと世間に対しての批判精神がテーマとされているのがロメロのゾンビだ。
ゾンビを定義してみよう。
「死体が生きた人間を襲って食う」というのは普通の観点。そうじゃなくこう考える。
「無思考の連中がものを言う少数派を食い散らかす」。
ほら、こう考えたらゾンビのメタファーが分かる気がするでしょ?
サイレントマジョリティには罪があるんだよ、って。
ただのグロテスクエンタテインメントではないのですよ。
現実にゾンビが徘徊する世界になってしまったとしたら、と考えたことがあるかもしれない。
そうなったら人間であることが幸せなのか、ゾンビになってしまう方が幸せなのか、「ナイト・オブ・ザ・リビングデッド」では問いかけられた。
人を食うゾンビより生きた人間の方が残酷であると描いて。
ゾンビという設定は「生存者を食う」「動きが遅い」「噛まれるとゾンビになる」などがあるが、ザック・スナイダー監督版の「ドーン・オブ・ザ・デッド」では初めてゾンビを走らせた。
これによって新鮮味も加わったが不気味さが薄れた。
ロメロの描くゾンビは動きが遅い。故にゾンビの対処に慣れた人間はゾンビを徐々に甘く見始める。
「油断」、これは大きなテーゼだ。
従ってゾンビを「人間が直面する重大な問題」と捉える。
一番新しいロメロゾンビ「サバイバル・オブ・ザ・デッド」の概要はこうだ。
ゾンビだらけの世界、ある島ではゾンビの扱いを巡って二大地主が対立している。
追い出された地主が報復を企てある意味平穏だった島が惨劇に見舞われる。島の外からやってきた者たちの目を通してその惨劇が描かれる。
はっきり言って「リーマンショック後、何ら有効な政策を打てない共和党と民主党に対する批判」である。
このゾンビは「金融不安」のメタファーである。実際劇中では金庫に入った大金が描かれる。それの象徴するものは明快だ。
アメリカの二大政党に、互いの利害を対立させるより協力し合ったらどうなのよ?とロメロ監督は問いかけているのだ。
世界のホラーの9割9分はお化け屋敷とグロテスクだが、テーマ性のしっかりしたものもあるわけで、そういうのと巡り会うと得した気分になるんだ、僕は。
次、「デイブレイカー」。
イーサン・ホークやウィレム・デフォーが出てる吸血鬼映画。ネタバレするけどこういう見方をしたら?と言うわけで書いちゃう。
ゾンビと同じく吸血鬼が支配する近未来。ウィルスによって爆発的に感染、増えたバンパイアは人間に取って代わった。
そうなると問題が発生する。食料である人間が足りなくなってくることだ。
それを解決しようとする主人公バンパイアがイーサン・ホーク演じるエドワード。
だが人工血液の開発が全く上手くいかず困り果てているところに「人間に戻ったバンパイア」と出会う。
ここでも人間とバンパイアのどちらでいる方が幸せか?という問いがなされる。
バンパイアは人間を差別できる立場にいる。だから人間に戻る必要はないと考え、人を見たら襲って血を吸う。
それで死んでも気にしない。
そりゃそうだDIO風に言えば「今まで食ったパンの数を覚えているか?」程度なのだから。
そんなバンパイアだが食料(人間)が足りなくなってついに暴動が起き始める。
これがフィクションである必要がどこにあるというのか?
僕たちだっていつ緊急事態に見舞われて「人としてどうなのか?」という選択を迫られるかしれない。
とくに昨年の震災を経、また再び首都圏に大地震が来るなどと言われる昨今僕らがそうならないといいきれるだろうか?
40年くらい前に描かれた星野之宣先生の「巨人たちの伝説」という作品中主人公が人類に対する憎しみを吐き捨てる。
滅亡の危機が迫って自暴自棄になった連中の暴動で恋人を殺されていたからだ。それでも地球を救おうとするのは
「救われたとき自分たちが今まで何をしてたか見せつけてやる」ためだ。
僕はこれを思い出した。
バンパイアは血清で治せるとエドワードは知った。
人間に戻ってしまった者の血を吸うとその場でバンパイアは人間へと戻ってしまうのだ。
理性を失い、相手のことも考えずに人間を殺しても血を吸って生き延びようとした結果、「人に戻る」。
映画のクライマックスである人間を襲って人間に戻り呆然とする連中の気持ちを考えるとなんとも笑えない。
僕たちは心のどこかで「緊急事態に直面したらルールを破っても仕方ないんじゃないか?」と思ってないか?
でも平時に存在する一線を有事だという理由で越えたとき、果たして平気な顔して戻ってこられるのか?
僕たちが人であるためには事態が変わろうが何しようが守らなくてはならない一線があるのだ。
そのためには当然強い意志、理性が必要だ。人であることは大変なんだよ。
この映画はそう語っていた。
ホラー映画ほど行間を読むのが面白いジャンルもないだろう、って思うんだ。
あ、そいからいつまでも「迎春」も無かろうと言うことで、エンター画面変えときました。
金を掛けてデザインせずにモンスターを大量生産できるからだ(これで特許取ってたら!)。
おかげでゾンビ映画って言うのは夏場の蚊柱のごとく大量登場した。
だが、本家ロメロとそれ以外には決定的な違いがある。
他の(中には優秀なものもあるが)バッタモンと元祖ゾンビ映画が違うのはその内包されるテーマ性である。
民主主義、物資文明、戦争、そういったメタファーと世間に対しての批判精神がテーマとされているのがロメロのゾンビだ。
ゾンビを定義してみよう。
「死体が生きた人間を襲って食う」というのは普通の観点。そうじゃなくこう考える。
「無思考の連中がものを言う少数派を食い散らかす」。
ほら、こう考えたらゾンビのメタファーが分かる気がするでしょ?
サイレントマジョリティには罪があるんだよ、って。
ただのグロテスクエンタテインメントではないのですよ。
現実にゾンビが徘徊する世界になってしまったとしたら、と考えたことがあるかもしれない。
そうなったら人間であることが幸せなのか、ゾンビになってしまう方が幸せなのか、「ナイト・オブ・ザ・リビングデッド」では問いかけられた。
人を食うゾンビより生きた人間の方が残酷であると描いて。
ゾンビという設定は「生存者を食う」「動きが遅い」「噛まれるとゾンビになる」などがあるが、ザック・スナイダー監督版の「ドーン・オブ・ザ・デッド」では初めてゾンビを走らせた。
これによって新鮮味も加わったが不気味さが薄れた。
ロメロの描くゾンビは動きが遅い。故にゾンビの対処に慣れた人間はゾンビを徐々に甘く見始める。
「油断」、これは大きなテーゼだ。
従ってゾンビを「人間が直面する重大な問題」と捉える。
一番新しいロメロゾンビ「サバイバル・オブ・ザ・デッド」の概要はこうだ。
ゾンビだらけの世界、ある島ではゾンビの扱いを巡って二大地主が対立している。
追い出された地主が報復を企てある意味平穏だった島が惨劇に見舞われる。島の外からやってきた者たちの目を通してその惨劇が描かれる。
はっきり言って「リーマンショック後、何ら有効な政策を打てない共和党と民主党に対する批判」である。
このゾンビは「金融不安」のメタファーである。実際劇中では金庫に入った大金が描かれる。それの象徴するものは明快だ。
アメリカの二大政党に、互いの利害を対立させるより協力し合ったらどうなのよ?とロメロ監督は問いかけているのだ。
世界のホラーの9割9分はお化け屋敷とグロテスクだが、テーマ性のしっかりしたものもあるわけで、そういうのと巡り会うと得した気分になるんだ、僕は。
次、「デイブレイカー」。
イーサン・ホークやウィレム・デフォーが出てる吸血鬼映画。ネタバレするけどこういう見方をしたら?と言うわけで書いちゃう。
ゾンビと同じく吸血鬼が支配する近未来。ウィルスによって爆発的に感染、増えたバンパイアは人間に取って代わった。
そうなると問題が発生する。食料である人間が足りなくなってくることだ。
それを解決しようとする主人公バンパイアがイーサン・ホーク演じるエドワード。
だが人工血液の開発が全く上手くいかず困り果てているところに「人間に戻ったバンパイア」と出会う。
ここでも人間とバンパイアのどちらでいる方が幸せか?という問いがなされる。
バンパイアは人間を差別できる立場にいる。だから人間に戻る必要はないと考え、人を見たら襲って血を吸う。
それで死んでも気にしない。
そりゃそうだDIO風に言えば「今まで食ったパンの数を覚えているか?」程度なのだから。
そんなバンパイアだが食料(人間)が足りなくなってついに暴動が起き始める。
これがフィクションである必要がどこにあるというのか?
僕たちだっていつ緊急事態に見舞われて「人としてどうなのか?」という選択を迫られるかしれない。
とくに昨年の震災を経、また再び首都圏に大地震が来るなどと言われる昨今僕らがそうならないといいきれるだろうか?
40年くらい前に描かれた星野之宣先生の「巨人たちの伝説」という作品中主人公が人類に対する憎しみを吐き捨てる。
滅亡の危機が迫って自暴自棄になった連中の暴動で恋人を殺されていたからだ。それでも地球を救おうとするのは
「救われたとき自分たちが今まで何をしてたか見せつけてやる」ためだ。
僕はこれを思い出した。
バンパイアは血清で治せるとエドワードは知った。
人間に戻ってしまった者の血を吸うとその場でバンパイアは人間へと戻ってしまうのだ。
理性を失い、相手のことも考えずに人間を殺しても血を吸って生き延びようとした結果、「人に戻る」。
映画のクライマックスである人間を襲って人間に戻り呆然とする連中の気持ちを考えるとなんとも笑えない。
僕たちは心のどこかで「緊急事態に直面したらルールを破っても仕方ないんじゃないか?」と思ってないか?
でも平時に存在する一線を有事だという理由で越えたとき、果たして平気な顔して戻ってこられるのか?
僕たちが人であるためには事態が変わろうが何しようが守らなくてはならない一線があるのだ。
そのためには当然強い意志、理性が必要だ。人であることは大変なんだよ。
この映画はそう語っていた。
ホラー映画ほど行間を読むのが面白いジャンルもないだろう、って思うんだ。
あ、そいからいつまでも「迎春」も無かろうと言うことで、エンター画面変えときました。
2012年02月06日 12:38
最近のアニメファンは可哀想だと思う。
萌えアニメしか見せてもらえないじゃんか。
なぜか。
ちょくちょく話題になることのある「若者のクルマ離れ」。
いろんな人が意見を言うので僕も言う。誰ともかぶらない意見なので。
これは社会の持つ性質によって露見した現象の一つに過ぎない。
クルマに限って言う。
バブル期の商品開発の失敗、その後遺症だ。
「出せば売れた」時代、国産メーカーはやたら短いスパンでモデルチェンジをした。
それが必ずしもいい方向に行くわけでなくR32のような名車があるにもかかわらずモデルチェンジして評判を落とす日産スカイラインのようなことが幾度も起こった。
クルマファンはがっかりだ。
そしてバブル崩壊。
売れなくなった業績を修正するためにどんな業界でもやること「マーケティングによるリスクヘッジ」。
これによってその時消費者の関心を引くモデルだけがプッシュされる。
その結果がエコカーだのミニバンだのと行ったクルマばかりがもてはやされてる現状である。
それで好景気になったのか?
視点を変える。
日本中どの業界も顧客のニーズに関心を寄せてマーケティングに重点を置く。
それによって無駄なリスクを回避できるからだ。これがリスクヘッジ。
「羮に懲りて膾を吹く」じゃないが、バブル崩壊の痛手が大きいせいかそこに重点を置きすぎてはいまいか?
マーケティングの効果が大きい業界とそうでない業界があるのではないかと思うくらいだ。
それほどまでに皆がマーケティングによるリスクヘッジにこだわっている気がする。
それは言っててみれば「大人の世界」の話。そしてそれがいわゆる「社会」って奴。
ならば「子供の世界」はどうだろう?
子は親の鏡と言う。大人の行動は必ず子供に反映される。
インターネットというツールで得られる情報の中にはネガティブなものが少なくない。
クルマに関して言えば「維持費が高い」「事故は悲惨」「車検とか理不尽」みたいな。
こういう情報に触れた「子供の世界」から間もない若者世代は当然そういったものから距離を置こうとするだろう。
これがリスクヘッジだ。
大人の世界のリスクヘッジ神話が子供にも影響してるんだ。
魅力あるマシンを開発するとか教育するとかじゃあないんだ。
リスクを顧みないで冒険できる大人が賞賛される社会でなければだめなんだ。
カーレーサーやレースライダーが欧州と違って尊敬されない日本では無理だ。
彼らが尊敬されるのは「命を賭して勝ちを奪いにいける人間」だから。そこには猛烈なリスクが伴う。
それを理解できる日本人がどれだけいるか?
危険な山に登って遭難した人を尊敬できる日本人がどれだけいるか?
おそらく日本人はバブル期の反省も含めてもっと真摯にこの民族性と向き合わなければだめだ。
まだ皆心のどこかで「バブル」が本当の日本の姿だと思ってる節がある。
卑屈になっちゃあ駄目だけど謙虚にならないと。
野村克也監督と岡田斗司夫氏が同じこと言っている。
「失敗に理由はあるが、成功に理由はない」
成功に理由があるなら社長の自伝を読んだ人は皆成功するはずでしょ?
バブルはいろんな要因がたまたま日本にとって良い方向に向いた偶然の産物だったのだ。
日本の本質などではない。
80年代の少年ジャンプがすごかったのはたまたま才能ある編集者と作家が集まっただけだ。
決してアンケート調査による作品の選別が奏功したわけではない。
だけどそれを各雑誌まねてしまった。
でも出版不況だよね。なんで気付かないのか不思議だよ。
「面白いですけどこのジャンルアンケートとれないですから会議にかけてもねえ」
って平然と言う若い編集さんがいるのだから何をか況やですな。
アニメもまた良質の作品より萌えキャラ押しのつまらない作品の方がセールスを上げてしまうのだから、そっちしか作らなくなるのは当然だよね。
まれに冒険の結果いい作品が生まれることはあるけどそれが必ずセールスに結びついているかと言えば疑問だ。
そういう意味ではファン自身がアニメの未来を狭めてるのかもしれないが、そんな作品ばかりで育てられたんだ、可哀想だよ。
日本が物作りナントカみたいなことを言うならマーケティングは流通業以外止めることだ。
マーケティングは先の編集者のように自分で考えることを止めさせてしまう。
判断はするが考えない、そんな人間を作ってしまう。
良質なアニメも、クルマもバイクも、ネガティブな部分も含めて正面から取り組めば、こんなに面白いものもないのにね。
萌えアニメしか見せてもらえないじゃんか。
なぜか。
ちょくちょく話題になることのある「若者のクルマ離れ」。
いろんな人が意見を言うので僕も言う。誰ともかぶらない意見なので。
これは社会の持つ性質によって露見した現象の一つに過ぎない。
クルマに限って言う。
バブル期の商品開発の失敗、その後遺症だ。
「出せば売れた」時代、国産メーカーはやたら短いスパンでモデルチェンジをした。
それが必ずしもいい方向に行くわけでなくR32のような名車があるにもかかわらずモデルチェンジして評判を落とす日産スカイラインのようなことが幾度も起こった。
クルマファンはがっかりだ。
そしてバブル崩壊。
売れなくなった業績を修正するためにどんな業界でもやること「マーケティングによるリスクヘッジ」。
これによってその時消費者の関心を引くモデルだけがプッシュされる。
その結果がエコカーだのミニバンだのと行ったクルマばかりがもてはやされてる現状である。
それで好景気になったのか?
視点を変える。
日本中どの業界も顧客のニーズに関心を寄せてマーケティングに重点を置く。
それによって無駄なリスクを回避できるからだ。これがリスクヘッジ。
「羮に懲りて膾を吹く」じゃないが、バブル崩壊の痛手が大きいせいかそこに重点を置きすぎてはいまいか?
マーケティングの効果が大きい業界とそうでない業界があるのではないかと思うくらいだ。
それほどまでに皆がマーケティングによるリスクヘッジにこだわっている気がする。
それは言っててみれば「大人の世界」の話。そしてそれがいわゆる「社会」って奴。
ならば「子供の世界」はどうだろう?
子は親の鏡と言う。大人の行動は必ず子供に反映される。
インターネットというツールで得られる情報の中にはネガティブなものが少なくない。
クルマに関して言えば「維持費が高い」「事故は悲惨」「車検とか理不尽」みたいな。
こういう情報に触れた「子供の世界」から間もない若者世代は当然そういったものから距離を置こうとするだろう。
これがリスクヘッジだ。
大人の世界のリスクヘッジ神話が子供にも影響してるんだ。
魅力あるマシンを開発するとか教育するとかじゃあないんだ。
リスクを顧みないで冒険できる大人が賞賛される社会でなければだめなんだ。
カーレーサーやレースライダーが欧州と違って尊敬されない日本では無理だ。
彼らが尊敬されるのは「命を賭して勝ちを奪いにいける人間」だから。そこには猛烈なリスクが伴う。
それを理解できる日本人がどれだけいるか?
危険な山に登って遭難した人を尊敬できる日本人がどれだけいるか?
おそらく日本人はバブル期の反省も含めてもっと真摯にこの民族性と向き合わなければだめだ。
まだ皆心のどこかで「バブル」が本当の日本の姿だと思ってる節がある。
卑屈になっちゃあ駄目だけど謙虚にならないと。
野村克也監督と岡田斗司夫氏が同じこと言っている。
「失敗に理由はあるが、成功に理由はない」
成功に理由があるなら社長の自伝を読んだ人は皆成功するはずでしょ?
バブルはいろんな要因がたまたま日本にとって良い方向に向いた偶然の産物だったのだ。
日本の本質などではない。
80年代の少年ジャンプがすごかったのはたまたま才能ある編集者と作家が集まっただけだ。
決してアンケート調査による作品の選別が奏功したわけではない。
だけどそれを各雑誌まねてしまった。
でも出版不況だよね。なんで気付かないのか不思議だよ。
「面白いですけどこのジャンルアンケートとれないですから会議にかけてもねえ」
って平然と言う若い編集さんがいるのだから何をか況やですな。
アニメもまた良質の作品より萌えキャラ押しのつまらない作品の方がセールスを上げてしまうのだから、そっちしか作らなくなるのは当然だよね。
まれに冒険の結果いい作品が生まれることはあるけどそれが必ずセールスに結びついているかと言えば疑問だ。
そういう意味ではファン自身がアニメの未来を狭めてるのかもしれないが、そんな作品ばかりで育てられたんだ、可哀想だよ。
日本が物作りナントカみたいなことを言うならマーケティングは流通業以外止めることだ。
マーケティングは先の編集者のように自分で考えることを止めさせてしまう。
判断はするが考えない、そんな人間を作ってしまう。
良質なアニメも、クルマもバイクも、ネガティブな部分も含めて正面から取り組めば、こんなに面白いものもないのにね。



