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999の事を思い出したら

2011年09月30日 14:51

新しいヘッドホンを買った。耳掛け式、made in USAでKOSSってメーカーの奴。
何故か?愛用の奴をipod shuffleとともにインポケットのまま洗濯機にぶち込んだ延長線上に理由がありそうだ。

それはともかく、これがヨドバシ価格1980の安価にもかかわらずいい音なんだ。デザインは最悪だけど。
いい音だなあ、久しぶりにあれを聞いてみるか。

「交響詩銀河鉄道999」

最初の999の映画のBGMです。
中学生の時初めて買ったLP(レコードプレーヤーを持って無かった俺はカセットテープで買ったんだけど)です。
オイラの劇伴好きはここから始まる。

で、仕事中に聞いてたらふと思った。
999という作品の正体。

この映画が公開された頃はアニメ作品の認知度か低くまだブームの走りであった。松本作品ブームではあったが。
したがってアニメに関する情報はほとんど無く、アニメ雑誌も少ない。この作品をきちんと評論する媒体はなかったように思う。

時がたって俺らの年代がオッサンになってメーテルが美女だったと言う事もあり999は思い出の映画として美化されていってるような気がする。999に限らないけど。
だからこの作品に関してきちんと考証している物を僕は読んだ事がない。知らないだけかもですが、そこはご容赦を。

あの作品を語る時に言われるワードは「青春」「幻影」「ロマン」「限りある命」辺りかなあ。
でもそんなんじゃないと思うんだ。


鉄郎は機械の体を求めて999に乗るわけだが最初から腑に落ちない事があった。
機械伯爵が母を殺しているのにそいつと同じ体になろうとするなんて!

でもガキの時分は馬鹿デスからそこを忘れる事に。

結局終着駅で彼は「ネジ」にされる事を通告されてそこから逃げるんですな。
これは一体どういう事か。

銀河鉄道は鉄道である。鉄道とは「レール」の上を走る物だ。
こう考えてみよう。

貧しい頃味わった屈辱を跳ね返すために、猛勉強し、エリートになる事を望んでいい大学を出る。
だが就職したはいいけれど、結局会社の、社会の歯車でしかなくね?俺。的な。

鉄郎は機械の体を手に入れる事でエリートになろうとしたわけだ。
だから銀河鉄道という「レール」に乗ったわけだ。
でも行き着いた先は「システムの部品」になる事だった。

これは現代教育システムのメタファーである。
銀河鉄道で旅する事は「勉強していい大学を出る」という事のメタファーであり、
ならば当然メーテルは「先生」のメタファーなのだ。
綺麗な憧れの先生の期待に応えたくなる男の子、それが鉄郎だ。
最後までメーテルが機械の体なのか生身なのか曖昧なままにしたのは「先生だって人間」で生徒には幸せになってもらいたいと思っている、からだ。
たとえシステムの一部として生徒と対峙していてもね。
教師であると言う事は「文科省の手先」でありながら「人間」という二律背反する要素を兼ね備えている事なのだ。
だから各駅のエピソードにはいつも教訓めいた物が含まれていてそれ自体が一時限の授業としてのメタファーだ。

そして松本先生はそれに対する答えとして「社会の部品にされるだけだ」という悲劇を用意する。
エリートにさえなれない。エリートなんて頑張ってもなれるものではなく、人として何か間違わなければなれないのだ!(原作にはそう言う描写がいっぱいある)

実にクールだ。
松本先生、クールです。

社会の引いたレールの上を歩む事、それはろくな物じゃない、それでも授業からは何かを学べ、学校では何かを学べ、そして最後には組織に依らない一個の自分たれ、そのために戦え!

というレイジマツモトのメッセージなのだ。
現代教育に対する批判、それが銀河鉄道999という作品だったんだ。

今頃気付くなんてな、俺。


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