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ホラー映画の話をしよう

2012年02月15日 00:36

ジョージ・A・ロメロという監督が発明した「ゾンビ」はホラー映画に革命をもたらした。
金を掛けてデザインせずにモンスターを大量生産できるからだ(これで特許取ってたら!)。
おかげでゾンビ映画って言うのは夏場の蚊柱のごとく大量登場した。

だが、本家ロメロとそれ以外には決定的な違いがある。

他の(中には優秀なものもあるが)バッタモンと元祖ゾンビ映画が違うのはその内包されるテーマ性である。
民主主義、物資文明、戦争、そういったメタファーと世間に対しての批判精神がテーマとされているのがロメロのゾンビだ。

ゾンビを定義してみよう。
「死体が生きた人間を襲って食う」というのは普通の観点。そうじゃなくこう考える。
「無思考の連中がものを言う少数派を食い散らかす」。

ほら、こう考えたらゾンビのメタファーが分かる気がするでしょ?
サイレントマジョリティには罪があるんだよ、って。
ただのグロテスクエンタテインメントではないのですよ。
現実にゾンビが徘徊する世界になってしまったとしたら、と考えたことがあるかもしれない。
そうなったら人間であることが幸せなのか、ゾンビになってしまう方が幸せなのか、「ナイト・オブ・ザ・リビングデッド」では問いかけられた。
人を食うゾンビより生きた人間の方が残酷であると描いて。

ゾンビという設定は「生存者を食う」「動きが遅い」「噛まれるとゾンビになる」などがあるが、ザック・スナイダー監督版の「ドーン・オブ・ザ・デッド」では初めてゾンビを走らせた。
これによって新鮮味も加わったが不気味さが薄れた。
ロメロの描くゾンビは動きが遅い。故にゾンビの対処に慣れた人間はゾンビを徐々に甘く見始める。
「油断」、これは大きなテーゼだ。

従ってゾンビを「人間が直面する重大な問題」と捉える。
一番新しいロメロゾンビ「サバイバル・オブ・ザ・デッド」の概要はこうだ。
ゾンビだらけの世界、ある島ではゾンビの扱いを巡って二大地主が対立している。
追い出された地主が報復を企てある意味平穏だった島が惨劇に見舞われる。島の外からやってきた者たちの目を通してその惨劇が描かれる。

はっきり言って「リーマンショック後、何ら有効な政策を打てない共和党と民主党に対する批判」である。
このゾンビは「金融不安」のメタファーである。実際劇中では金庫に入った大金が描かれる。それの象徴するものは明快だ。
アメリカの二大政党に、互いの利害を対立させるより協力し合ったらどうなのよ?とロメロ監督は問いかけているのだ。

世界のホラーの9割9分はお化け屋敷とグロテスクだが、テーマ性のしっかりしたものもあるわけで、そういうのと巡り会うと得した気分になるんだ、僕は。

次、「デイブレイカー」。
イーサン・ホークやウィレム・デフォーが出てる吸血鬼映画。ネタバレするけどこういう見方をしたら?と言うわけで書いちゃう。

ゾンビと同じく吸血鬼が支配する近未来。ウィルスによって爆発的に感染、増えたバンパイアは人間に取って代わった。
そうなると問題が発生する。食料である人間が足りなくなってくることだ。
それを解決しようとする主人公バンパイアがイーサン・ホーク演じるエドワード。
だが人工血液の開発が全く上手くいかず困り果てているところに「人間に戻ったバンパイア」と出会う。

ここでも人間とバンパイアのどちらでいる方が幸せか?という問いがなされる。
バンパイアは人間を差別できる立場にいる。だから人間に戻る必要はないと考え、人を見たら襲って血を吸う。
それで死んでも気にしない。
そりゃそうだDIO風に言えば「今まで食ったパンの数を覚えているか?」程度なのだから。

そんなバンパイアだが食料(人間)が足りなくなってついに暴動が起き始める。

これがフィクションである必要がどこにあるというのか?
僕たちだっていつ緊急事態に見舞われて「人としてどうなのか?」という選択を迫られるかしれない。
とくに昨年の震災を経、また再び首都圏に大地震が来るなどと言われる昨今僕らがそうならないといいきれるだろうか?

40年くらい前に描かれた星野之宣先生の「巨人たちの伝説」という作品中主人公が人類に対する憎しみを吐き捨てる。
滅亡の危機が迫って自暴自棄になった連中の暴動で恋人を殺されていたからだ。それでも地球を救おうとするのは
「救われたとき自分たちが今まで何をしてたか見せつけてやる」ためだ。
僕はこれを思い出した。

バンパイアは血清で治せるとエドワードは知った。
人間に戻ってしまった者の血を吸うとその場でバンパイアは人間へと戻ってしまうのだ。
理性を失い、相手のことも考えずに人間を殺しても血を吸って生き延びようとした結果、「人に戻る」。
映画のクライマックスである人間を襲って人間に戻り呆然とする連中の気持ちを考えるとなんとも笑えない。

僕たちは心のどこかで「緊急事態に直面したらルールを破っても仕方ないんじゃないか?」と思ってないか?
でも平時に存在する一線を有事だという理由で越えたとき、果たして平気な顔して戻ってこられるのか?
僕たちが人であるためには事態が変わろうが何しようが守らなくてはならない一線があるのだ。
そのためには当然強い意志、理性が必要だ。人であることは大変なんだよ。

この映画はそう語っていた。

ホラー映画ほど行間を読むのが面白いジャンルもないだろう、って思うんだ。

あ、そいからいつまでも「迎春」も無かろうと言うことで、エンター画面変えときました。
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